鷹山と平洲上杉鷹山と、その師・細井平洲

師弟

細井平洲 上杉鷹山

尾張の農村に生まれた学者と、十七歳で破綻した藩を継いだ藩主。 二人が出会ったのは江戸、平洲三十七歳、鷹山十四歳のときでした。

このサイトは、平洲の生地である愛知県東海市に育った者がつくっています。 東海市には平洲小学校も平洲中学校もあり、その名は子どものころから身近にありました。 年号も言葉も、東海市と米沢市の公式記述にあたって確かめています。

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この師弟を一枚で

1728年 ― 1822年
  • 1764平洲37歳・鷹山14歳
    江戸の米沢藩邸で師弟となる
  • 1767鷹山17歳
    藩主就任。借財は推定二十万両
  • 1785鷹山35歳
    隠居し「伝国の辞」を渡す
  • 1796平洲69歳・鷹山46歳
    関根で郊迎。国指定史跡

言葉から入る

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寛政8年(1796年)9月6日

藩主が、師を城外まで迎えに出た

9月6日、平洲三度目の米沢来訪。鷹山は郊外の関根まで自ら出迎え、新築まもない普門院に案内して長旅をねぎらった。十数年ぶりの対面だった。藩主が師を城外まで迎えに出たこの場所は、のちに国の史跡に指定される。

郊迎について読む

三つの土地

ゆかりの地 15 か所/周辺の史跡 167 件

このサイトの姿勢

上杉鷹山と細井平洲については、出所のはっきりしない逸話や名言が数多く流通しています。 ここでは、東海市および米沢市の公式ウェブサイトに記載されているものを典拠とし、 各ページに出典を示しました。確認できない事柄は載せていません

言葉の解説では、意味の説明で終わらせず、いつ・誰に向けて語られたのかまで書いています。 場面が分かると、同じ言葉でも意味が変わることがあるからです。 「なせば成る」がその典型で、若者への励ましではなく、 改革をやり遂げた者が次の代へ残した壁書の締めくくりでした。

地図についても同じ方針です。座標は実在を確認できたものだけを持ち、 確認できない場所は住所で地図検索へ渡しています。推測で座標を置くことはしていません。